道重さゆみ生誕祭をファンが祝福!いま振り返る道重さゆみの「14」の時代

相沢直

2014年11月26日の横浜アリーナ公演にてモーニング娘。を卒業した伝説のリーダー、道重さゆみ。あの日以降、周囲の人間によって生存は確認されているが、その姿は一切見せていない。そんな彼女が7月13日、26歳の誕生日を迎えた。すると日付が変わるとともに数多くのファンがツイッターに集まり祝福のコメントをそれぞれにツイート、一時はハッシュタグ「#道重さゆみ生誕祭」がツイッターのトレンドに入るほどの盛り上がりを見せた。

卒業から7ヶ月を過ぎたというのに、かつその間一度もその姿を見せていないにも関わらず、未だファンの中で消えることのない道重さゆみに対する思い。もちろんいま現在のモーニング娘。'15は新たなモーニング娘。の形を更新し続けているわけだが、それでも、いやだからこそ、ファンの中では今でも道重さゆみは特別な存在である。

というわけで本日はそんな道重さゆみの活動を、彼女が作り上げたモーニング娘。'14に敬意を表して、14の時代に切り取って紹介したい。もちろんファンなら知っている情報も多いことだろうが、こんな人間がフィクションではなく現実の世界に存在していたという事実は、後世にまで伝えなくてはならないだろう。道重さゆみを知ってしまった者にだけ、それは許されているのだから。


【2002年(13歳):さゆーじあ期】

この年、モーニング娘。のオーディションを受ける。アイドルになりたいとか歌手になりたいというわけではなく、ただただモーニング娘。になりたいというのが動機であった。それまでの人生で挫折を味わった経験がなかったため落選するという想像は一切していなかったが、歌とダンスは全くの不得手。課題曲の「赤いフリージア」を歌ったときの破壊的な歌唱力は後々までもファンのあいだで「さゆーじあ」という名で語られることになる。

当然合宿でも叱られることになるのだが「なんでモーニング娘。になりたいの?」と問われ「好きだから」と即答。「モーニング娘。が好き」というこの純粋な気持ちが、彼女の人生を運命づけることになる。そんな彼女を見てプロデューサーのつんく♂は「この子自体が作品やな」と絶賛、モーニング娘。の6期メンバーとして加入することになる。


【2003年(14歳):ビビり期】

1月19日、モーニング娘。に正式に加入。当時道重さゆみは、モーニング娘。に入れる人間は全員天才だから練習なんてしていないのだろうと思い込んでいたが、勿論そんなはずはない。学業の関係で4月から本格的な活動を開始するのだが、他のメンバーにパフォーマンスで追いつくことが出来ず、悪めだちしないように自分の印象を消すことに精一杯だった。

当時のモーニング娘。の人気はすさまじいものがあり、ステージデビューは5月5日のさいたまスーパーアリーナ公演。この年のNHK紅白歌合戦には田中れいなとともに史上初の平成生まれとして出場する。道重さゆみ、デビュー1年目。その環境のありがたさに、当時気付くことは出来なかった。


【2004年(15歳):うさちゃんピース誕生期】

自分の個性を消して悪めだちしないように努力していた道重さゆみが初めて自分の意志で作り上げた作品が、いわゆる「うさちゃんピース」である。両手をうさぎの耳に見立てて頭の上に置くこのポーズは、姉とともにプリクラを撮影したときに産まれたと言われている。このポーズを流行らせようと苦心するも、なかなか浸透してくれない。だがそれでも、しぶとく続けた。そのときの道重さゆみには「うさちゃんピース」しかなかったのだ。

そして、この年の夏に行われたハワイツアー。写真撮影のとき、一人のファンがこう口にする。「うさちゃんピースで映ってください」と。努力は無駄ではなかった。ちゃんと、見てくれている人がいる。道重さゆみはこのとき涙が出るほど喜んだという。これをきっかけとして「うさちゃんピース」は、道重さゆみとファンとの間の絆を象徴するポーズになったのであった。


【2005年(16歳):ストレス期】

初めての後輩である久住小春が加入。道重さゆみは彼女の教育係に指名される。当時の久住小春は「次世代のエース」と称され鳴り物入りで加入した大物ルーキー。一方の道重さゆみはパフォーマンスにも自信がなく劣等感の固まりのような存在だった。とは言え先輩は先輩である。教育係として久住小春の世話をしようとする道重さゆみ。だが問題は、久住小春はまだ子どもであり社会常識が一切なかったという点にあった。

教育係として気を遣いすぎたせいもあり、道重さゆみは久住小春から仕事のみならずプライベートでもこき使われる羽目になる。モーニングコールはもちろんのこと、テレビの配線をお願いされたり、ビデオの録画を命じられたりする始末。誰にも相談できず、一人ストレスを抱える日々。事態に気付いた同期の亀井絵里が久住小春を叱りつけることによって難は脱したが、当時は毎日のように眉毛を抜き続けるほど精神的に追いつめられていたという。

道重さゆみ、未だ自分の居場所を見つけることが出来ない時期であった。


【2006年(17歳):自分の居場所発見期】

モーニング娘。に加入して以来、ステージで悪めだちしないことだけを考えていた。時を経てそれなりのスキルは重ねたものの、逆に自分には目立つところが一切ないという事実に気付く。自分を出さないことを目標にしてきたため、これからどう頑張れば良いのか、それさえも分からない。このとき道重さゆみは暗闇の中にいた。後に「いま思うとあのときがいちばん辛かった」と語るほどである。

だが10月、彼女に大きな転機が訪れる。CBCラジオにて自身のレギュラー番組『今夜もうさちゃんピース』がスタートしたのだ。地方局のラジオ番組。客観的に見れば、決して大きな仕事ではない。だが道重さゆみにとってはそうではなかった。初めて自分の気持ちを素直に言葉に出来た。そして初めてファンの存在を身近に感じることが出来た。自分は一人ではないということを、彼女はこのラジオを通じて確かに知ったのだった。

この年の11月8日にはシングル『歩いてる』がリリース。「歩いてる/一人じゃないから/みんながいるから」という歌詞は彼女の当時の気持ちそのものであり、人生のテーマ曲と言えるほど大切な曲となった。なおこの曲は、道重さゆみがモーニング娘。に加入して以降初めてオリコンチャート1位を獲得。神様が道重さゆみに与えた、ささやかなプレゼントだったのだろうか。


【2007年(18歳):プラチナ期】

高橋愛がリーダーに就任。一般的にこの年の後半から2010年末ごろまでが、モーニング娘。にとっての「プラチナ期」と呼ばれている。メンバーの変動がほとんど行われず、メディアへの露出も激減する中、彼女たちはハードなツアーとトレーニングを敢行。モーニング娘。は歌とダンスのパフォーマンス集団である、と誰しもに言わしめる当時の活動は、現在に至るまでモーニング娘。の礎となっている。

一方道重さゆみは明石家さんまがパーソナリティをつとめる『MBSヤングタウン土曜日』にレギュラー出演することに。明石家さんまという稀代のお笑い怪獣と接することによってバラエティ能力を開花させることになるのだが、それはまだ先の話。当時は明石家さんまからツッコまれたときに放送中にも関わらずキレてしまい、大先輩に向かって鉛筆を投げつけるという暴挙もはたらいていたのであった。


【2008年(19歳):混迷期】

未だ、道重さゆみの混迷の時代は続く。8月に行われたモーニング娘。主演ミュージカル『シンデレラ the ミュージカル』に出演するが、同期のメンバーは台詞も歌もあるにも関わらず、自身は妖精としてワイヤーで吊るされるだけという役をあてがわれる。明石家さんまからは「面白いなお前!」と笑いに変えてもらうことで希望を得たが、それでもやはり屈辱は屈辱。自身のラジオでは後日そのことを思い出して泣き出してしまうほど、つらい体験であった。

道重さゆみが涙すれば、ファンもまた涙する。いわゆる「俺さゆのこと好きすぎてどうしたらいいかわかんねえ」事件である。9月に行われた握手会イベントの直後の吉野家で一人のファンが突然「俺さゆのこと好きすぎてどうしたらいいかわかんねえ」と言って牛丼に涙をこぼし、店内がざわついたというこの事件。ファンの熱い気持ちを感じさせるエピソードとして、後々まで語り継がれることとなる。


【2009年(20歳):バラエティ露出期】

道重さゆみが、道重さゆみになることを決めた、一つの転換期と言えるのがこの年だろう。当時、歌やダンスに自信のない彼女は、パフォーマンス集団としてのモーニング娘。の中での立ち位置に悩んでいた。そんな折、一つのオファーが届く。それはクイズ番組への出演のオファーであった。結果を残すなら、ここしかない。そう決めた道重さゆみは過去のVTRを取り寄せて研究、事前に流れやトークをシミュレーションして番組に挑む。そして収録当日。彼女の回答は爆笑に爆笑を呼び、ほかの出演者を圧倒、これをきっかけとしてバラエティ番組のソロの仕事が激増する。

そこで彼女は初めて知ることになる。現在のモーニング娘。の一般的な知名度の低さを。そのときまで、彼女は自分のことで精一杯だった。モーニング娘。の中で、自分がどうすべきか、それだけを考えていた。だが外の世界に出て、その意識が大きく変わる。自分を知ってほしい、という気持ちは、今のモーニング娘。を知ってほしい、という気持ちへと変化する。道重さゆみが好きなのは、モーニング娘。だったから。そして彼女は自分が嫌われても良いから今のモーニング娘。に興味を持つきっかけになろうと決意する。自己紹介の挨拶を「道重さゆみです」から「モーニング娘。の道重さゆみです」に変えたのもこのころだった。

自分がバラエティに向いていると思ったことは一度もない。「根暗で人見知り」かつ「アドリブが利かない」というのが彼女の自己評価だ。だから、努力した。番組出演前には過去の番組を確認し、共演者の下調べをして収録に挑んだ。そして収録が終わったら、反省点を事細かにノートにつけた。自分自身のためだけなら、これほどの努力なんて出来なかっただろう。だけどモーニング娘。のための努力なら、いくらだって出来た。なぜって、モーニング娘。が、好きだから。

この年の「週刊文春」での「女が嫌いな女」ランキングで、道重さゆみは見事第10位にランクインする。それはモーニング娘。の道重さゆみが勝ち得た、確かな勲章だった。


【2010年(21歳):ブログ期】

2月、自身の公式ブログを開設。いまでこそハロー!プロジェクトでは当たり前になっている本人ブログだが、これは道重さゆみがこの時期に「自分の気持ちを伝える場が欲しい」と事務所に懇願して開設したのがきっかけである。ファンとの気持ちの交流の場所がこのとき産まれたのだ。道重さゆみによる公式ブログの開設は、その後のハロー!プロジェクトの精神にも大きな影響を与えた、重要な功績の一つだと言えるだろう。

12月には、同期の亀井絵里が卒業。6期メンバーを象徴する名曲『大きい瞳』を横浜アリーナの花道で歌う亀井絵里、道重さゆみ、田中れいなの3人の神々しい姿は、今でも語りぐさである。誰よりも心の通じ合った盟友を見送った道重さゆみは、それでもその道を歩き続けることを決意する。新しいモーニング娘。を作るために。


【2011年(22歳):覚醒期】

この年の1月には9期メンバーの4人が、そして9月には10期メンバーの4人がモーニング娘。に加入。後輩たちが増えることによって、道重さゆみはさらに覚醒していく。その決意を口にしたのが6月のハーモニーホール座間公演でのMCだ。「アイドル戦国時代とか世間とかでは言われてて......私たちはあきらめないし、私たち自身は負けてる気持ちじゃない!」と明言。モーニング娘。の復権を、高らかに宣言したのだった。

常日頃から感情を表に出すタイプではないが、そういった場面では必ずファンの心を掴む言葉を残すというのは道重さゆみの特徴の一つだ。11月に放送された『いきなり!黄金伝説。』の芸能人節約バトル。結果発表の前日に彼女は布団をかぶり「私が頑張れたのはモーニング娘。だからこそだし、モーニング娘。のメンバーがいて、支えてくれるファンの皆さんとかがいるからっていうのを、すごく感じました」と涙ながらに本心を吐露した。彼女の心の真ん中には、いつもモーニング娘。がある。どんなファンよりも強くモーニング娘。を愛しているのが、道重さゆみという人間なのだ。


【2012年(23歳):リーダー就任期】

5月、新垣里沙の卒業を受けてモーニング娘。第8代目リーダーとなる。モーニング娘。のリーダーになるというのは彼女の目標の一つではあったが、それでもやはり自信はなかった。そんなときにメールを送る相手は盟友の亀井絵里だ。彼女は「さゆはさゆのままでいい」と返事を送ってくれた。だがその1時間後、再び亀井絵里からのメールが届く。そこにはこう書かれていた。「間違った。さゆはさゆのまま"が"いい」と。こんなに愛の詰まった言葉をもらって逃げ出すような道重さゆみではない。そして彼女は、亀井絵里の言葉通り、自分にしか出来ないリーダー像を造り上げることになる。

道重さゆみが目指したのは、可愛いモーニング娘。だった。アイドルにとって最も重要なのは可愛いことだというのは彼女がずっと抱えていた信念である。そして彼女は、可愛いモーニング娘。を作るために、自分自身が可愛い手本になろうと決意した。リーダーである自分は、言葉ではなく姿勢で他のメンバーに伝えなくてはならない。こうして道重さゆみは、可愛くなることにした。

顔や表情には自分の気持ちが現れる。だから道重さゆみは毎日のように自分を鏡で見て、私は可愛い、と暗示のように自分に言い聞かせた。コンサートやメディアの場も彼女は一切の謙遜を捨て「私は可愛い」と言い続ける。そして言葉は人を変える。この意識的な習慣によって、道重さゆみは実際に日々可愛くなり続けた。それは夢や幻などではなく、事実、そうなのだった。

こうして孤高の道を突き進む道重さゆみではあったが、だが決して、孤独ではなかった。亀井絵里がいた。モーニング娘。の初代リーダーである中澤裕子とイベントで共演したときは「しげちゃんはしげちゃんらしくていいんだよ」と背中を押してもらった。この年の誕生日、いつもはそっけない内容のメールしか送ってこない田中れいなは「さゆも色々考えてるんだね。6期が一番上やから頑張ろう」とメッセージを送ってくれた。一人ではない。みんながいる。そしてその道重さゆみの背中を、後輩たちもまた見つめていたのだった。


【2013年(24歳):神聖期】

1月にリリースされた52作目のシングル『Help me!!』でオリコン1位を獲得。道重さゆみがこれまでにまき続けた種が、神聖な花となって咲き始める。EDM路線やフォーメーションダンスという単語が徐々に広まり、いまのモーニング娘。が凄いということに世間が気付き始めるのだった。5月には最後の同期である田中れいなが卒業。「『やっぱり6期最強』と言ってもらえるように頑張ります」と約束を交わし、そして道重さゆみだけが、モーニング娘。に残った。

10月にはモーニング娘。在籍日数が3920日となり、歴代メンバーの在籍最長記録を達成。自他ともに認めるモーニング娘。の劣等生だった彼女は、モーニング娘。の象徴になった。歌もダンスも出来なかった。ただ、モーニング娘。が好きだっただけだ。だがそれは、何よりも大切なことだった。何かを好きでいること、何かを好きでい続けることの強さを、道重さゆみは自らの歴史で証明したのだ。

そして何よりも嬉しいことには、後輩たちもまた、モーニング娘。が好きだった。だから彼女たちは、コンサートを重ねるごとに成長を遂げた。11月28日に行われた日本武道館公演。それは道重さゆみにとって初めての、先輩も同期もいないツアーだった。彼女はマイクを手にして集まったファンに問いかける。「正直、大丈夫かなと不安でした。でも、大丈夫でした。なぜだか分かりますか?」と。答えはこうだった。「それは、後輩が頼もしくなっていたからです」

こうして道重さゆみは、新しいモーニング娘。を造り上げた。別れのときが、近づいていた。


【2014年(25歳):超えていけ期】

グループ名をモーニング娘。'14に改名し、快進撃は続く。メディアに出る機会も増え、道重さゆみというリーダー像は雑誌で取り上げられるほどにもなった。モーニング娘。'14は道重さゆみというリーダーの下、新たな景色を見せ続けてくれるだろうと誰もが思っていた。4月29日。故郷である山口県のコンサートにて、この年の秋でモーニング娘。から卒業することを発表する。

卒業を決意した理由は「可愛さのピークのうちに卒業したい」というものだった。道重さゆみの目標は、可愛いモーニング娘。を作ることだ。そして自分の可愛さに対して自覚的な彼女は、今がそのときだと知っていた。そしてまた、後輩たちが頼もしくなっていたというのも勿論あるだろう。自分が去ることによって彼女たちがまた新しい景色を築いてくれることを、確信もしていたはずだ。9月29日にはメンバー全員でたこ焼きパーティーを開催した。それまでのモーニング娘。ではあり得ない出来事である。歴代のモーニング娘。の中で最も仲が良く、そして最も強い絆で繋がっていたモーニング娘。'14は、そして11月26日、道重さゆみの卒業コンサートを迎える。

道重さゆみのモーニング娘。としての最後のシングルとなった『TIKI BUN/シャバダバ ドゥ〜/見返り美人』のプロモーション動画で、彼女はこう告げている。「私なら、大丈夫。超えていけ。過去も、私も。私にとっても、全盛期は、一度だけとは限らない」と。だから11月26日、モーニング娘。'14は、道重さゆみを超えていかなければならなかった。それが愛するリーダーと交わした約束だったから。そして道重さゆみとモーニング娘。'14は、最後の伝説を作ることになる。

一度きりの卒業コンサート。舞台は横浜アリーナだ。この日のために、可愛さをピークに持ってきた。肉体的にも精神的にも万全の自分で臨んだ。そのはずだった。それなのに。道重さゆみの足は悲鳴を上げていた。ファンやメンバーに気付かれないようになんとかパフォーマンスを続けようとするが、既に限界はとうに過ぎていた。歩くことさえままならない。それでもコンサートは続く。全員で花道を駆け出すはずのそのタイミングで、道重さゆみは、一人だけその場で立ち尽くしていた。

それでも、後輩たちは、頼もしかった。道重さゆみが思うよりもずっと。一人でも欠けたら成立しないという前提のフォーメーションダンスを、9人はその場で完成させる。道重さゆみがその場にいないということを忘れてしまうほどに、一人一人が立ち位置と動きを調整し、見事なパフォーマンスを見せる。その姿を見つめていた道重さゆみは、どれほど誇らしかったことだろう。だがコンサートはまだ終わりではない。次の曲は『好きだな君が』だ。道重さゆみと譜久村聖のデュエット曲。フォーメーションでどうこうできるものではない。決意したのは、譜久村聖だった。彼女はその場にほかのメンバーを残し、そして振り向いて、花道を全速力で駆けて行く。その先に、道重さゆみの笑顔が待っていた。

これまでの歴史、これまでの苦難、これまでの全ての出来事が、その瞬間に確かに繋がっていた。そして二人は横に並んで『好きだな君が』を笑顔で歌った。誰からも愛された偉大な8代目リーダーと、これからのモーニング娘。を作る9代目リーダーの二人だった。超えていけ、過去も私も。道重さゆみの言葉は、現実のものとなる。バトンは渡された。そしてそれは、モーニング娘。の道重さゆみが成すべき、最後の仕事であった。


【2015年(26歳):充電期】

あの日の翌日に書かれたブログは、今でも残っている。つらいことや悲しいことがあっても、ファンは彼女に会うことが出来る。コメント数は1万6000件以上だ。彼女が最後にアップした画像にはこう書かれている。「道重再生 また、いつの日か...。」と。その日がいつになるかは分からない。だがその日がいつになろうとも、誰もが待ち続けるだろう。彼女はいつか再生する。そうに決まっているのだ。なぜなら道重さゆみは、ファンと交わした約束を、破ったことなど一度もないのだから。

<結論>
大河か朝ドラで実写化して良いんじゃないでしょうか、これは。

文・相沢直



■参照リンク
道重さゆみ 公式ブログ
http://ameblo.jp/sayumimichishige-blog/
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