原作ファンの芥川賞受賞作家・村田沙耶香、『溺れるナイフ』愛を語る

AOL News Staff

講談社「別冊フレンド」に連載され(04年~13年)、洗練された世界観と、リアルな心理描写で熱狂的に愛され続ける少女マンガ「溺れるナイフ」。この度小松菜奈、菅田将暉W主演で映画化が決定、8月5日(金)に本作の舞台となった和歌山県新宮市にて、熊野大学Presents 試写会を実施した。


村田沙耶香、田中康夫、浅田彰、中森明夫など作家陣も参加し、村田沙耶香は上映後、「『溺れるナイフ』原作のファンで、すごく楽しみにしていました。ここ熊野で観られたことが嬉しいです」と語った。

「熊野大学」とは、20世紀の日本文学を代表する作家・中上健次の名を冠にし、中上健次の出身地である和歌山県新宮市で日本を代表する文学者たちが継続してきた文化を発信する勉強会。中上健次の命日である8月頭に毎年開催され、吉本隆明、浅田彰、いとうせいこう、島田雅彦、東浩紀、青山真治、中村文則、都はるみ、瀬戸内寂聴ら多彩なゲストが参加し、今日に至る。今回、実施された試写会には、山戸監督と本作の脚本と務めた井土紀州が駆けつけ、「コンビニ人間」(文藝春秋)で第155回芥川賞を受賞した村田沙耶香氏と、王様のブランチのブックコーナーなどでもお馴染みの文芸批評家の市川真人氏によるクロストークが行われた。


■8/5 『溺れるナイフ』試写会プレトーク at ジストシネマ南紀
登壇者:山戸結希監督x伊土紀州(脚本家)x市川真人(評論家)



市川:中上健次の名を冠した今年で24年目のシンポジウムで、なぜこの映画『溺れるナイフ』を上映するのか?という話ですが、まずジョージ朝倉さんの原作漫画がものすごく中上的な漫画、浮雲町という架空のほぼ、ここ新宮や南紀を舞台にして描かれた一人の少年と少女の青春ドラマありつつ、中上を読んだ人が読めばあちこちに中上健次の思想がある。原作のジョージ朝倉さんも中上健次を愛読していたと後から知ったが、ここには中上健次が描こうとしたものが漫画の形でここにあるという作品。たまたま、中森明夫さんのご紹介で山戸結希さんという非常に若くて才能のある映画監督に出会い、ジョージ朝倉さんの『溺れるナイフ』を撮っていて、今年の秋に公開だと聞き、これはどうしても熊野でみなさんと観なければならない映画だと、様々な方にお願いし、本日ここで上映する運びとなりました。脚本は、熊野でかかわっていらっしゃって青山真治監督の『路地へ 中上健次の遺したフィルム』でも中上の朗読をしている井土紀州さんが書かれています。脚本家・映画監督である井土紀州さんです。

井土:僕は同じ和歌山県尾鷲の出身です。最初、お話をいただいたときは、少女漫画かぁと思ったが、読んでみると神倉神社?火祭り?とコマが沢山あり、漫画全体のテイスト含め、中上健次の影響を受けた漫画家だ、だったらいけるかもしれない、と引き受けました。中上健次からとてつもない影響を受けた僕が、関係ない土地で仕事をしているのに、またこうして中上に引き戻されるのは不思議だなと感じています。

山戸:和歌山では17日間の撮影を濃密に過ごしました。ここに来ると、血が沸き立つような不思議な土地の力を感じ、グッと体の芯が熱くなります。ジョージ朝倉先生の『溺れるナイフ』は私たち世代の女の子にとって熱狂的な作品であったのですが、その作品に映画監督として関わった際に中上健次さんの名をとても聞くようになり、憧れのジョージ先生が愛読されていた、大切な作家さんであるということを知りました。こんな風に「孫」ではないですが、隔世遺伝のような形で、ジョージ先生の作品を通して、中上健次さんの熱が、伝播して映画を撮らせていただきました。これは、ティーン向けの中高生の女の子が観てくれる映画なのですが、もし映画『溺れるナイフ』を観てくれた子が熱を受け取って何か表現してくれたら、きっとみんないつのまにか中上さんに出会ってしまうし、この土地の力が、波紋のように広がっていけばよいなと思います。


■8/6(土) 『溺れるナイフ』× 中上健次 クロストーク at 高田グリーンランド
登壇者:山戸結希監督x村田沙耶香(作家)伊土紀州(脚本家)x市川真人(評論家)



市川:昨日に続き、今日は更に作家の村田沙耶香さんもお招きし、『溺れるナイフ』と中上健次について話していきたいと思います。『溺れるナイフ』がどのような点において、中上的かというと、全能感を失った若者たちがいかにしてそこからもう一度、立ち直れるかという物語であるということ。コウちゃんという少年は神の子のように美しく、また非常に軽やかな若者。そんな彼が自分の最愛の女の子を守りそこねた瞬間から、いわば堕天使がもう一度、天に登るにはどうしたらいいかという話があり、一方、夏芽という女の子も東京の人気モデルであったが地方に転校して、ある事件によってある種の堕天があり、もう一度どうやって羽ばたくのかという、2つの堕天と再生の物語。「堕天」「全能感の喪失」は中上健次に刻まれている。また、田舎という遅れた都市が、都市になろうとする軋みも、中上健次が描いてきた。ジョージ朝倉さんは中上健次を愛読されていた。中上的なもの、いわば文学的なものは21世紀にどう創作可能なのか?我々は考えていかなくてはならない。

山戸:ジョージ先生が真摯に向き合われている主題として、少年少女は完全な理想を目指すが、少年少女であるがゆえに、不完全な真実が露呈してしまう。それでも、夢を見ることは出来るのか?どんな夢を見るのか?というテーマがあると思います。少女漫画の世界では、恋をしたら永遠に結ばれるけれど、ジョージ先生はもっと真実の世界を見ている。全ての女性の人生には、菅田さん演じるコウちゃんのように、憧れを抱かせる男性と、あるいは重岡さん演じる大友のように、お互い等身大で自分を救ってくれる男性が存在する。けれど、憧れには終わりがあるし、等身大に甘んじては自己実現は果たされない。ジョージ先生が描く、その選択と結末は、鮮烈でした。そんなジョージ先生の漫画『溺れるナイフ』が中上健次さんと繋がって考えられることが、未来の中上読者としては楽しみで、新しい希望ですね。

村田:大学の頃から、女の子の思春期の恋の話が好きで、もっと痛いものをずっと求めていました。ジョージ朝倉先生の「ハートを打ちのめせ!」を中学生に読んだとき、こういうものが本当に読みたかったと思いました。ある日、思春期の女の子をとことん書いてみたいと思った時、自分が育ったニュータウンに住む女の子を書いたのですが、それはジョージ先生が描く 「場所に縛られる」という事に衝撃を覚え、影響を受けたからです。『溺れるナイフ』も大好きです。思春期の女の子の切実さ、コントロールができないものの衝動を目立たないタイプの女の子ではなく、あえて目立つタイプの女の子というのが鮮烈でした。『溺れるナイフ』は少女コミックなのに「暴力」もきちんと描かれていて、以前は登場人物の暴力についてはあまり好きではなかったんですが、何度も読み返すうちに、だんだんと理解できるようになってきました。イヤじゃなくなってきた、というか...。暴力が衝動になるというのが、自分にはないので、好奇心とでもいうのか、それが中上健次的テーマであるならば、『溺れるナイフ』を通じて理解できたと言うことでしょうか。



11月5日(土)TOHOシネマズ渋谷ほか全国ロードショー
(c)2ジョージ朝倉/講談社 (c)2016「溺れるナイフ」製作委員会

■参照リンク
「溺れるナイフ」公式サイト
http://gaga.ne.jp/oboreruknife/
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