スマッシング・パンプキンズの名盤への賞賛とバンドへの複雑な思い

音楽スノッブの誰もが、伝説になる直前のバンドを発見したことがあるだろう。そして僕の場合はスマッシング・パンプキンズだった。

それはソニック・ユースのドキュメンタリー「1991:The Year Punk Broke」が作られた1991年のこと。当時の僕は、ニュージャージー郊外の文化的に不毛な場所に取り残された16歳の少年で、デペッシュ・モードに熱狂的だったガールフレンドから贈られた1本のミックステープで、オルタナティブ・ロックへの憧れを持ち始めたところだった。

僕は10代の転換期にある情熱をもって、この新たなサウンドを享受した。

ある日、イギリス人VJのデイヴ・ケンドールがホストを務めていたMTVの「120 Minutes」で、中性的なロッカーが悪魔のようなヒッピーの儀式を体現しているビデオを目にした僕は、「賞賛」と「理解不能」が入り混じった感情を抱いた。それは決してゴス調ではなく、どちらかというとインディー映像作家のケネス・アンガーを彷彿とさせ、アートパンクに近いものだった。インターネットが普及する前だったこともあり、僕はそのバンドの奇妙な名前や曲名、そして曲が収められていたアルバム名を書き留めた。スマッシング・パンプキンズ、「Siva」、そして「Gish」と。

スマッシング・パンプキンズは自らが持つ強さを最大限に生かしている。ダーシーとジミー・チェンバレンによるキラー・リズムや、兄弟間で争っているようなジェームス・イハとビリー・コーガンのギターがそれだ。彼らはさらに、ビリーの非旋律的な金切り声といった、自分たちにとって一番の弱点となったかもしれない点をバンドの特徴へと変えていったのだ。

そうそう、バンドのショーについて話しておこう。僕は「ヴィレッジ・ヴォイス」紙を読んでいて、それは当時、何が起きているかを知る唯一の手段だった。番組を見たのは、自宅から車で40分のところにあるニュージャージー州ホーボーケンのミュージック・クラブ、マックスウェルズで、僕と兄、そして自分たちと同じ境遇にあった2人の姉妹と一緒だった。彼女たちもまた、自由な気風のラジオ局WFMUに信頼を寄せ、どこかほかにもっと知性あふれる人生があると信じていた。

僕らはそこに早い時間に到着した。当時はお金よりも時間に恵まれていたのだ。オープニング・アクトの間、兄はジェームス・イハの隣に立っていた。僕らはジェームスがギターを持ち、ステージに上がるまで、彼が誰だかわかっていなかった。当時のビリーは赤毛をなびかせていて、僕は彼が口を開くまで、男なのか女なのか考えあぐねていたのだ。

これは今から20年前の出来事で、当時はまだピッチフォークやSpinner、そしてグーグルも存在しなかった。物事をゆっくりとつなぎ合わせて(これはある種の楽しみだったのだが)、あとは自分の想像力で空白を埋めていた。

ショーで印象に残ったのは次の3つだ。まず1つ目はダーシー。僕は、自分と同じ境遇にあった若い男性すべてがおそらくそうであったように、彼女に夢中だった。2つ目はビリーが後ろに反り返っては、音楽が速くそして大きくなるときに攻撃的にマイクを取ったことだった。今後も「Siva」の最後のコーラスの前に、ビリーが小さく「Yeah」とシャウトするのを聴くたびに、彼のその日の格好を思い浮かべることだろう。それに最近ではすっかり好きになったモッシュを試みたのも覚えている。当時の僕は、スラムダンスが終わりを迎えたと思っていたけれど、それは今でも生き残っているのだろう。

今年の冬に豪華版で再発された「Gish」と次の作品「Siamese Dream」を、僕は今でも傑作だと思っている。当時音楽に夢中になれた幸運な僕らにとって、彼らはエキサイティングで、それによって時代を手にしていた存在だった。僕は今でも時々、スマッシング・パンプキンズはニルヴァーナの成功の最大の被害者だったと思っている。もしカート(・コバーン)とニルヴァーナのメンバーがうまくいかなかったなら、ビリーやジェームス、ダーシー、そしてジミーが一筋縄ではいかないアーティストとして認められていたかもしれない。ラジオでかかっていた音楽は言語に絶するほどイカしていて、レコードの音楽や至る所で開かれていたステージは、そのあまりの素晴らしさを無視することはできなかった。

残念ながらニルヴァーナのように、スマッシング・パンプキンズも成功に対処できるタマではなかった。ビリーはハングリーな成り上がり者から、瞬く間に金をもらいすぎたマヌケ野郎に成り下がり、1994年に彼らをロラパルーザで見たのが僕にとって最後となった。僕は観客の中に立ち、この偏執的なロックスターが、どれだけ多くの人にそっぽを向かれようともラブソングを書くのをやめないと、誰に言うともなく不満を漏らすのを見ていた。そしてこう思ったのだ。「いったいどうやって、これほど早く堕落してしまったのだろう?」と。そして僕の不満の本当の矛先は、彼らの作品のサウンドにあった。ビリーが自分で確信しない限り、誰かが彼を説得したのだ。ビリーの声がバンドの最高の特徴だと。彼は声を不安定にさせ、それがグラミー賞の受賞につながったのだろう。だが僕にとって、彼らのサウンドは最悪としか思えなかった。

では、どうして長々と批判を述べるのか? キャリアの中で時代を象徴する名盤を2枚も出したバンドはどれだけ存在するだろう? いや、1枚でもそれに値する作品を出したバンドはいるのか? 今「Gish」を聴くと、当時、足繁く通っていたレコードショップの匂いがよみがえる。理想に燃え、不必要なまでに怒りを感じていた当時の僕たちをも見ることができる。そして僕は、かつて僕らが共有していた時期を思い出すのだ。

(マイケル・ホーガン)
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