テレビから消え自殺を考えた萩本欽一を救った電話 【ぼくたちの好きな土8戦争(5)】


「ぼくはダメなんだ......。死のう」
失意のどん底に陥っていた萩本欽一は自殺さえ考え、熱海の錦ヶ浦に立っていた。
コント55号結成直前のことだ。


萩本は、東洋劇場やフランス座で修業した後、「トリオ・スリーポインツ」や自ら劇団「浅草新喜劇」を立ち上げた。その「浅草新喜劇」の舞台を観たTBSのディレクターが、萩本をテレビの世界に誘う。もちろん、萩本は喜んでその誘いに乗った。歌番組で歌の合間にコントを披露する役割だった。

しかし、萩本には致命的な欠点があった。極度のアガリ症だったのだ。足の震えが止まらなかった。テレビの仕事は散々だった。局のスタッフからはゴミのように扱われ、来る仕事はエキストラばかり。ようやく大きな仕事だと思った『楡家の人びと』ではヒトラーを演じたが、その出演部分は全てカットされてしまっていた。

そして、有名な「NG事件」が起こる。梅仁丹の生CMに起用された萩本は、カメラが回りだした途端に台詞を忘れてしまったのだ。またも極度のアガリ症が出てしまった。焦れば焦るほど、NGを繰り返し、その数、なんと19回。番組はめちゃくちゃになった。「お前なんか、役者やめちまえ!」萩本は追われるようにテレビの世界から消えた。

自殺を考えるほど追い詰められた萩本を救ったのは、「浅草新喜劇」で一緒だった先輩の小田憲司だった。熱海の「つるやホテル」のフロアショーの司会を紹介してくれたのだ。夕方からのショーが始まる前、海を眺めながらボーっとしていたら、ふっとコントのアイディアが浮かんだ。後にコント55号の代表作になる「机」だ。

「浅草に戻ろう。浅草に帰って、このネタをやるんだ!」萩本はいてもたってもいられず、浅草に舞い戻ったのだ。そしてまさにその日、下宿に戻って1時間足らずで、萩本に一本の電話がかかってきた。それが彼の運命を変える電話だった。

(参考)『愛の世界45』萩本欽一:著/『なんでそーなるの!』萩本欽一:著/『アサヒ芸能』13年9月6日

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