モハメド・アリの最も大きな戦いはリングの外にあった【追悼動画】



2016年6月3日、世界中に惜しまれながら亡くなったモハメド・アリ。元ボクシング世界ヘビー級チャンピオンとしてはもちろん、日本でもアントニオ猪木との"世紀の一戦"など、多くのエピソードでスポーツファン以外にもよく知られた伝説的人物である。しかし、彼の本当の戦いはリングの外にあった。

https://www.youtube.com/watch?v=c1gCtoxyfF8


ヘビー級チャンピオンとなったアリが、金メダルを首から下げて意気揚々と入ったレストランで、黒人であることを理由に不当な扱いを受けた際のエピソードは有名だ("こんなもの役に立たない"とメダルを川に捨てたという噂の真偽は不明)。

プロ転向後にはムスリムに改宗し、名前をモハメド・アリに変えたのは黒人活動家・マルコムXの導きだったという。本名のカシアス・クレイは白人(英語)のもので、本人が「奴隷の名前だ」と説明しているとおり、改名は隷属からの解放も意味しているのだろう。キング牧師とは宗教の違いを超え、人種/階級差別や抑圧と戦うために手を取りあい、公民権運動を大きく後押しした。

そして彼を語る上で避けて通れないのが、ベトナム戦争への良心的兵役拒否だ。公民権運動まっただ中のアメリカで「何の恨みもないベトコンに銃を向けるつもりはない」と発言したアリは、WBC/WBA統一ヘビー級王座だけでなくボクサーのライセンスまで剥奪され、さらに法廷で有罪判決を受けることになる。

60年代当時のアメリカに対し「俺たち黒人が戦うべきはアジア人ではなく白人だ」と、多くの人々が黙認していた"根強く残る差別意識"をも炙り出したアリの兵役拒否は、世論やメディアから"反愛国的"だと批判された。しかし、彼はその後も臆することなく反戦を訴え続け、やがて国内でもベトナム反戦の声が高まり始める。一人のスポーツ選手がアメリカの意識そのものを変化させたのだ。

「彼らが俺のことを"ニガー"って呼んだか? 俺の母親をレイプして、親父を殺したっていうのか? 何もされてないよ。何のために彼らを殺しに行くっていうんだ。そんなことするくらいなら、さっさと俺を投獄してくれ」

ボクサーとして最も脂の乗った3年間を棒に振ることになったがアリだが、まったくブランクを感じさせることなく、すぐさま実力で王座を奪還。そして王座に返り咲いてもなお、反戦や人権、人類愛を訴え続ける姿勢は変わらなかった。

「影響力のある黒人のスポーツ選手やエンターテイナーは、今じゃたくさんいる。でも私は生きている限り、可能な限り、気高く正しい精神と理念を持って生きることを掲げ、人々に伝え続けていこうと思っている」

ボクサー引退後の1981年には、ビルから飛び降り自殺しようとする若者を説得したという逸話もある。アリは「私は君のブラザー、兄弟だ。君の助けになりたいんだ」と叫んで自殺を思いとどまらせ、若者を自ら救い出したそうだ。

https://www.youtube.com/watch?v=Jy5lKjlIF_4


湾岸戦争時、イラクで15人のアメリカ人が人質に取られた事件では、現地でサダム・フセイン大統領と交渉し人質解放に大きく貢献。ネルソン・マンデラと共にアパルトヘイト問題にも取り組み、さらに世界中の恵まれない子どもたちに食料や医療を送り続けた。42歳で患ったパーキンソン病も、彼にとっては大きな戦いだった。1996年のアトランタオリンピック開会式、震える身体で最終聖火ランナーを務めた彼の姿を記憶している人も多いだろう。9.11の際にはイスラム教徒としてテロ攻撃を批判し、人々に愛と平和を訴えている。

晩年も、カリフォルニア州サンバーナディーノで起きた銃乱射事件を受けて「イスラム教徒のアメリカ入国を全面禁止すべき」と発言したドナルド・トランプ氏を批判したりと、世界の平和と相互理解を求める活動を止めなかったモハメド・アリ。人間が人間らしく、気高く生きることを世界中に訴え、体現して見せた彼の人生は、常に闘争だった。それは人間同士の戦いではなく、人の尊厳と自由、愛と平和のための戦いだ。

世界は今、アリが闘ってきた時代よりもさらに悪い方向へ進もうとしているかもしれない。もし今後、我々が被差別者の立場に置かれたり、人間としての尊厳を脅かされたとき、果たして彼のように振る舞うことができるだろうか?

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