伝説の横綱・千代の富士との名勝負によって生まれたもう一人の「ウルフ」


去る7月31日、「ウルフ」の愛称で親しまれた元横綱、千代の富士の九重親方が61歳で急逝した。多くの相撲ファンが悲嘆に暮れたが、20連勝以上7回、30連勝以上1回、幕内最高優勝31回という輝かしい戦績を残すこととなったその雄雄しい活躍ぶりは、今なお、多くのファンの心に深く刻まれている。


千代の富士と言えば、小錦や朝潮といった"超巨漢"の力士相手にも、キレの良い技で翻弄し、数々の名勝負を生み出してきたことで知られる。実はそんな「ウルフ」とほぼ時を同じくして活躍した若手力士で、角界に鮮烈な印象を与えたもう1人の「ウルフ」が存在する。後に「白いウルフ」と呼ばれ、多くのファンから愛された益荒雄(現・阿武松親方)だ。

北海道出身が生んだ大横綱「ウルフ」こと千代の富士に対し、福岡県に生まれた「白いウルフ」こと益荒雄は、もともと警察官になることを志望していたものの、当時の押尾川親方に説得される形で角界入り。熱心な稽古の甲斐あって1983年、七月場所で十両へと昇進すると、鋭い差し身を身上とした相撲で活躍。続々と大物力士たちとの勝負を制し、1987年、三月場所では、1横綱4大関の撃破という、前代未聞の快進撃を見せた。そして同場所で、ついに彼は不動の大横綱・千代の富士との対決を迎えることとなったのだ。

6日目の取組で横綱・北勝海に対して衝撃的な圧勝を見せた中で迎えた7日目、同じ5勝1敗同士で星を並べる千代の富士との取組を迎えた益荒雄は、行事の掛け声とともに、得意とする速攻戦術で、素早く千代の富士の許へと飛び込んで両差しの体制に入る。一方、こうした益荒雄の動きに出遅れた千代の富士も、それに動じる気配すら見せずに、その熟練された技術で左上手をとりにかかり、さらには首を巻いての上手投げへと持ち込もうとする。

しかし、それを受ける形で今度は益荒雄が東へと出るという展開に。そこで、今度は千代の富士が右を捻じ込むものの、それを好機と見たのか、益荒雄は右からの外掛けへ。それにより、体制を崩された千代の富士であったが、このままでは終わらないのが千代の富士。上手投げを打ちにかかりつつ、それが決まらないと踏むや、瞬時に右から益荒雄を掬いつつ、攻勢へと転じようとかかるが、双方が仕掛け続ける中で益荒雄は、背中からぶつかる形で千代の富士を押し飛ばし、土をつけることとなった。

このあまりに鮮やかな展開に、観衆からは大きな歓声と座布団の嵐が舞った。当の千代の富士からも、珍しく笑みがこぼれるという、まさに見事な取り組みであった。千代の富士からすれば、まさに敵ながら天晴れといったところであったのではないだろうか。

結局、この場所を9勝6敗の好成績で終えた益荒雄は、初の殊勲賞を獲得。その名勝負から「益荒雄旋風」を巻き起こしたことでファンが急増し、一般公募によって選ばれた「白いウルフ」の名を拝するようになった。益荒雄は度重なる怪我の影響もあって、現役生活の中で千代の富士と対決したのはこの取り組みを含めてたった7番のみ(千代の富士の5勝2敗)であったが、この対決は今でも多くの相撲ファンによって語り継がれている。

「ウルフ」の胸を借りる形で挑み、「白いウルフ」の名を手に入れた益荒雄。彼もまた、大横綱・千代の富士との対決によって、その評価をあげることとなった名力士の一人と言えるだろう。

文・出門鶴花

■阿武松部屋-白いウルフ-
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