現実の探求:パート2(ジェームズ・フランコ)

親愛なるN_______________、

先日は君に会えて楽しかった。何かが少しおかしい気はしていたけれど。君をホイットニー美術館に呼び出したのは、もちろん友達として君とできるだけ一緒に過ごしたいと思ったからだよ。でも、知ってるだろ?僕はいつも何かをしていないと気が済まないんだ。ただ座ってくだらないおしゃべりをしているだけなんてできない。
そんなわけで、草間弥生の展示を見る前に、僕はミュージアム・カフェで君に本を読んであげようと言ってゆずらなかった。周りが騒がしかったし、途中速く読みすぎたから、君は聞き取れなかった部分があったかもしれないね。だからもう一度言おう。スポルディング・グレイの『モーニング、ヌーン&ナイト (Morning、Noon&Night) 』には、ほっこりとした素敵な魅力がある。とてもシンプルな話だ。彼に子供が生まれる。子供の母親との間にはもう1人別の子供がいて、連れ子もいる。家族は、最近サグ・ハーバーへ引っ越した。彼は、新しい家族と過ごす新しい土地での、ある平穏な一日について語っている。

一見シンプルなこの本が、なぜこれほど僕の心を捉えるのかをずっと考えていた。日常生活の取るに足らない物事が、興味深く洞察に満ちたものになっている原因が2つ考えられると思う。彼は、自分自身について、何も隠さず、面白いほど真面目に書いている。そして、ヨガや息子との買い物、本題とは関係ないセックスの逸話、もっとずっと深刻で複雑な題材についての考えなどをシンプルな語り口で積み重ねている。このように、一見シンプルな家族生活の平凡な事柄を書いていながら、話は人生の複雑さに到達しているんだ。

僕は昨日、『コンプライアンス (Compliance) 』という映画を見た。これは70以上のレストランで実際に起こった事件にヒントを得た物語だ。何者かが警官を装って電話をかけ、ありもしない権限を使ってレストランの従業員同士でひどいことをやらせた。映画はとても良くできていた-特にその最小限の予算を考えるとね-というのは、全体を通してものすごい緊張感を保っていたんだ。ある意味で、滅多に起こることではないけれど、誰しも人格がガラッと変わって恐ろしい事態に引きずり込まれることがある。一緒に映画を見に行った仲間の中に、人事部で働いていて従業員規則を知り尽くしているヤツがいたんだけど、そいつと、登場人物たちがあんな罠に引っかかるなんてばかげていると小声で話していたよ。登場人物たちは知らない間におかしな方向に導かれていくけれど、僕たち観客には電話のむこうの詐欺師がやろうとしていることが知らされているから、騙す側の手口がミエミエなんだ。観衆は誰が電話しているかわからない、という真っ暗闇にはいないから、登場人物たちが踏み外すのを皮肉な距離から眺めることになり、その過ちがさらに強調されるんだ。実際に自分がその立場に立たされたらきっと全く違う感覚なんだろうと思う。それから、この事件が映画になったということは、もはやファーストフード店の奥の部屋で起こったプライベートな話ではなく、大勢の観客に公開されているということだ。登場人物たちが奥の部屋でプライベートな行いをしているのを、観客が巨大なスクリーンで見ているんだ。2人だけの脱衣の身体検査が、映画館の観客全員のストリップショーになる。これも電話をかけた側が、電話を受けた側に起こしたことの視覚的な要素なのだけど、実際にはそいつは見ることができない。聞いて、想像することができるだけだ(レイプというのは直接的な性的満足ではなく、いかに支配欲の問題であるかがわかる)。脱線して申し訳ない。シンプルで率直に物語を語るのに、真実を用いる例としてこの映画の話をしたんだ。

僕は、スポルディング・グレイの本にも何か似たところがある思う。一日の比較的シンプルな活動について書かれてはいるけれど、それが実際に起こったこととして紹介されるので、また違った重みがあるんだ。もう一つの要因として、この本を書いているときにはそんなつもりはなかったんだろうけれど、5年後にグレイは死んでしまった。どんな状況だったのかはっきりしていないけれど、彼が自殺したと見られているせいで、本に書かれていること全てが違って見えるんだ。家族とのサグ・ハーバーでの一見幸せな生活は、迫り来る死の恐怖に取り憑かれている-以前の激しい恋愛人生の後に訪れた家族生活に対するいかなる前向きな抱負も、いつかは迎える死というものに対するいかなる解決策も、彼がこの本を書いてすぐに、おそらくは自殺してしまったという事実に飲み込まれてしまっている。だけど、彼が死んだという恐ろしい事実があると無いとに関わらず、本は機能している。筆者の人生のあり方が影を落としていてもなお、この本には読者を引き入れる本来の力がある。そして、僕はそれこそが真実の力だと思う。彼は、ウソの幸せな家族の話を書こうとはしていないし、もしそうであったなら、彼はあらかじめ家族をバラバラにする必要があったと思う。誰もフィクションで幸せな人々の話なんか読みたくないから。不幸を乗り越える話を読みたがるから。けれども、おそらく彼は実際に起こった本当のことを書いているおかげで、とても些細なことについて書くことができたんだ。それほど長い本ではない。おそらく、彼は長いこと書き続けることができなかったんだろう-その流れるようなスピードの、気まぐれさと簡潔さがこの本の魅力でもある。だけど、僕たちが実際に起こったことだと言われて『コンプライアンス (Compliance)』の従業員たちの愚かさを受け入れたのと同じように、スポルディング・グレイの比較的シンプルな日常にも心を奪われるんだ。彼はそれをでっちあげたりしていないのだから。

シンプルで率直に語られる彼の日常生活に加え、グレイは自分自身の内面の独白として綴っていることがある。死についての考え(彼の母親が自殺したことに少し触れながら)、彼の過去の結婚と裏切り、それに、劇団ウースター・グループで一人芝居の舞台をやったり、フラン・ドレシャーの人気ドラマ『ザ・ナニー (The Nanny) 』に俳優として出演したりしたときのこと。こうした余談も、彼の思考がどのように働くのかを理解する手助けになり、日々の表面的な事柄にも深みを与えている。僕たちは皆、自分自身の主観に飲まれてしまっている。毎日の経験は、その日までに蓄積したこれまでの経験の上に成り立っている。誰もが、これまでの経験の集合体を通して今を生きている。そして、グレイが表面的な経験と内的思考を混ぜ合わせることで、僕らは世界はさまざまな現象が幾層にも重なり合っているという感覚を味わう。それに、日々の活動がありきたりであるからこそ、それと対照的に、内面の思考が深みを増すんだ。ヨガ、新聞を読む、子供が学校に行く準備をする、レンタルする映画を選ぶ、家族と夕飯を食べる、子供を寝かしつける、などなど。読者は彼の人生に起こる小さな物事から、この人物(スポルディング・グレイ)がソクラテスのようなタイプだと感じると思う。推測するに、彼は人生で最も深い、愛と死について考察することができたんだ。このふたつに関しては、専門家や権威はいないからね。彼の主題は自分自身と家族だけど、彼がこうしたことをとっかかりに思考を広げて行くやり方を見る限り、もっと普遍的な問題を論じることもできると思う。

ミュージカル『イントゥ・ザ・ウッズ (Into the Woods) 』は悪くなかった。だけど、僕が一番良かったと思うのはホイットニー美術館から公園を通ってシェイクスピア・イン・ザ・パークの野外劇場まで歩いたこと。(草間弥生の筆で描かれたバスケットみたいに見える白い絵は最高だったよね?彼女が湖のスイレンの葉を赤く塗っていて、その水面が絵だった、というビデオも良かったけど。)実はね、僕が思い描いていたプランではもっと楽しくなるはずだったんだ。ウッディ・アレンがデートのシーンでやるような、楽しい芸術かぶれの一日にしたかったんだ。ホイットニー美術館に行って、公園の劇場の外で岩に腰かけて読書をして、星空の下でアメリカの古典ミュージカルを見て、それから、遅めのディナーにジョー・アレンかどこかへ行くつもりだった。だけど君はきっと、何か怒っていたよね。
(原文:Search for the Real: Part 2)
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ジェームズ・フランコ
映画俳優、作家
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